それは一体誰のもの?

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英語と日本語は構造がまるで違います。
構造が違うだけでなく、背景にある文化も違うので、日本人にはなかなか理解するのが難しい文章もあるのです。
そんな文章のひとつ、存在文についてが今日のお話。

名詞の描写や説明ができる文章のことを、私は「状態文」と呼んでいます。
This is a pen. とか
I am happy. などがそうです。

「これ」はペンだとか、「私」はハッピーだとか、状態を説明していますよね?

一方、存在文というのは、描写や説明が出来ません。
何かが「ある」とか
誰かが「いる」としか言えないんです。

この存在のさせ方には2種類あります。
例えば
There is a bag.
そこにバッグがあります。

バッグがそこにあるときに使いますが、「There is」ってなんだろうと思いませんか?
「そこはバッグ」なんでしょうか…?
じつはこれ、もともとは
A bag is there.
なんです。

「there」を前に出して順番を変えているんです。
倒置させたんですね。

バッグがあります、そこに、ということです。
誰のものだか分からないけど、バッグがそこにある。
バッグがこの世の中に存在している、という意味です。

これが誰のものだか分かっていたら「have」を使いますね。
I have a bag.
この文章では、バッグは「私の」ものです。

She has a bag.
この文章では、バッグは「彼女の」ものです。

このような、バッグがある特定の人や場所に所属しているときには「have」を使います。

目的物(O)が、主語(S)に所属しているということです。
つまり主語(S)のものだということ。

その逆で、誰のものでもない。
でも世の中には存在している、というときは「there is」なんです。

これは日本語にはない感覚です。
なぜかと言うと、日本人はあまり占有意識がないんですね。
みんなのもの、という意識があります。

でも欧米は違うんです。
個人主義だから、「私の」だって言う主張がすごく強い。
だから「have」があるんです。

何かが、誰のものでもなく世の中にあったら「there is」で、何かが私の所有物であったら「I have」です。

英語は誰のものか、どこに所属するか、ということを明確にします。
誰かのものなのか、誰のものでもないのか、っていうことが全て明確なんです。

本当に言葉が文化を作るんだな、と思いますね。

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