文化の違い~日本の「汲む」が海外で通じないワケとは

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言葉と文化は密接に関わっています。
だから翻訳をしても、本当の意味で当てはまる言葉は無いことも多いわけです。

そんな、言葉と文化の違いについてが、今日のお話。

「汲んでくれ」って日本語ありますよね?
もう分かってる、分かってるんだから言わなくていいじゃないかってことです。

例えば物を盗んだ子供がいて、今はもう反省しているなら、その気持ちを汲んで、親や先生には言わないでおいてあげる、とかね。
反省してるって分かってるんだから、わざわざ言わないの。
もう分かってるんだから、わざわざ言わない。
こういうのを「汲む」って言うんですよ。

この「汲む」という言葉は英語にはありません。
英訳では「draw」になってるけど、これは「水を汲む」の意味ですね。
「想像する」とか、「仮定する」とか、「想定する」というふうに訳されてるけど、違いますよね。

「汲む」は日本人独特の感覚なの。
「理解」とか「思いやる」ってこととも違う。

「汲む」っていうのは、すでに知っていることなんです。
共通の体感なの。
これは私の考えなんですが、これって同一民族じゃないとできないことだと思うんです。

日本人は単一民族じゃないですか。
単一民族だから、みんな同じこと考えてるんですよ。
だから他人の気持ちが分かるんです。

日本語には「S」と「V」の「S」がないんです。
「私は」「私は」って言わないの。
「疲れてるのね」とか、「好きよ」とか主語がなくても伝わります。
それはみんな同じことを考えてるからだと思うんです。

「私は」「私は」って言うと出しゃばってるみたい思われるから、なるべく人が言ってるかのように言いたいんですよ。
これが文化が言葉を作る例ですね。

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